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「余命1ヶ月」父との別れ

 

今日は、父の命日です。

 

父が亡くなってから11年、

月日が経つのは早いもんです。

 

私には3つ違いの妹がいて、

物心がついた頃には父子家庭でした。

 

そんな中で、父は何の不自由もなく

私たちを義務教育まで育ててくれました。

 

本当に感謝しています。

 

ただ、私にとって父は

父親という存在でしかなく

亡くなる日まで、1度も父のことを

好きになったことがありません。

 

むしろ、「オヤジの葬式も絶対に出ない」

と、固く心に決めていたくらいです。

 

それくらい、大嫌いでした。

 

私は18歳で家を出て43歳まで疎遠関係でした、

というよりも一方的に私が避けていた感じです。

 

「今度、父と再開するのは父が骨になった時」

 

そんな冷酷な思いを持っていた私が、

祖父母の墓参りで偶然見かけた父の姿に

ビックリして無意識に駆けつけていた

自分がいました。

 

その父の姿は、自分が知っている

父ではありません。

 

亡くなる直前のガリガリに痩せこけた

祖父にそっくりだったんです。

 

初めは父と確信ができなかったのですが、

その後ろから妹と甥と姪の姿が見えたので

「やっぱりそうだ」と確信に変わりました。

 

この出会いがきっかけで、

父と話をするようになったのですが、

もうその時点で父は、

 

膵臓がん末期、余命1ヶ月でした。

 

入院をしていた父は、

「祖母の命日に手を合わせたい」

といって、主治医に無理を言って

外出をさせてもらっていたみたいです。

 

あれほど嫌いだった父だったのに、

私はこれを機に、時間の許す限り

父の病室に足を運びました。

 

杖を突いてなんとか歩いていた父も、

日に日に容態も悪化し

もう、歩くことすらできません。

 

「背中が痛い〜、背中が痛い〜」

 

と、うめいている父の背中を無心で撫でました。

 

痛がっている父を見て主治医はモルヒネを選択します。

 

後わずかな命、これで痛みが取れるなら

背に腹は代えられないと思いました。

 

モルヒネを打ち始めて2,3日すると、

痛いとは言わなくなりましたが、

意識も無くなりました。

 

私の顔や妹の顔を見ても

何の反応もありません。

 

覚悟を決めたその日の夕方に主治医から

 

「お父さんは今日が山です」

 

そう告げられました。

 

 

親子3人、最後の夜…

 

父は何分かおきに、苦しそうにもだえ

口から血を吐いていました。

 

「オヤジ、よく頑張ったな。今までありがとう」

 

そういって父の手を取りました。

 

やせ細って小さくなったオヤジの手。

 

子供の頃以来、父の手を握った記憶がありません。

 

「こんなに小さかったか‥」

 

何とも言えない気持ちになったことを

今でも思い出します。

 

 

月日が経つに連れて、

子供の頃、オヤジと遊園地で遊んだ思い出や

私と妹の誕生日にフルーツパフェを作ってくれた思い出など

走馬灯のように蘇ってきます。

 

そんな楽しかった思い出と同時に、

 

「なぜ、もっとオヤジに優しくしてあげれなかったのか…」

 

せめて、意識があった最後の日に

 

「『今までありがとう!』

と感謝の気持ちを伝えたかった…」

 

今になって後悔しています。

 

 

今回、祖父母のお墓で出会った

父との再会は偶然ではなく

 

祖父母が必然的に引き合わせたもの

 

だと私の中で確信しています。

 

 

今まで、ご先祖様のお墓参りは軽視していましたが、

今後、お盆・命日関わらず

足を運べる時はできる限り

手を合わせに行きたいと思います。

 

 

寺本

 

 

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