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「余命1ヶ月」父との別れ

 

父の命日に思うこと

〜遺品整理という仕事を通して感じる「家族」との向き合い方〜

 

今日(11月25日)は、父の命日です。

父が亡くなってからもう11年。

月日が経つのは本当に早いものです。

 

 

幼い頃の父との暮らし

私には3つ違いの妹がいます。

物心ついた頃にはすでに父子家庭で、父が男手ひとつで私たちを育ててくれました。

義務教育を終えるまで、何の不自由もなく過ごせたのは父のおかげです。

今では心から感謝しています。

 

 

それでも、父を好きになれなかった

正直に言えば、私は父が好きではありませんでした。

むしろ、嫌いでした。

「オヤジの葬式には絶対に出ない」とまで思っていました。

18歳で家を出てから43歳になるまで、父とは疎遠。

こちらから避け続けていたと思います。

「次に会うのは、父が骨になったときだろう」

そんな冷たい気持ちを抱いていました。

 

 

墓参りで“偶然”の再会

ある日、祖父母の墓参りに行ったときのことです。

そこで偶然、父の姿を見かけました。

思わず駆け寄った私の目に映ったのは、

かつての強かった父ではなく、やせ細り、祖父の最期にそっくりな姿の父でした。

その後ろには妹と、甥、姪の姿。

間違いありません。父でした。

この再会をきっかけに、私は父と話すようになりました。

しかしその時、父はすでに膵臓がんの末期で、余命1ヶ月と告げられていました。

 

 

最期の時間

入院していた父は、「祖母の命日に手を合わせたい」と主治医に頼み込み、

無理を言って外出許可をもらっていたそうです。

私はそれから、できる限り病室に足を運びました。

杖をついて歩いていた父も、次第に歩けなくなり、

「背中が痛い」と苦しむ父の背中を、無心でさすりました。

主治医は痛み止めにモルヒネを選択。

数日後には痛みは和らぎましたが、意識も失われました。

そしてその日の夕方、

「お父さんは今日が山です」と医師に告げられました。

 

 

父の手のぬくもり

最後の夜、父は何分かおきに苦しみ、血を吐きながらも必死に息をしていました。

私はその手を取り、こう声をかけました。

「オヤジ、よく頑張ったな。今までありがとう。」

小さくなった父の手。

子供の頃以来、初めて握った父の手でした。

「こんなに小さかったのか…」

胸の奥が熱くなった瞬間でした。

 

 

残された後悔と感謝

月日が経つにつれ、子どもの頃の思い出がよみがえります。

遊園地で遊んだこと、誕生日にフルーツパフェを作ってくれたこと――。

そして思うのです。

「なぜ、もっと優しくしてあげられなかったのか」

せめて意識のあるうちに、「ありがとう」と伝えたかった、と。

 

 

偶然ではなく、必然の再会

あの墓参りでの再会は偶然ではなかったと、今では思います。

祖父母が引き合わせてくれた、最後の親孝行の機会だったのかもしれません。

それ以来、私はお墓参りを大切にするようになりました。

お盆や命日に関係なく、時間の許す限り手を合わせに行きます。

亡き父、そしてご先祖様への感謝の気持ちを胸に。

 

 

寺本

 

 

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